プロフィールをご覧いただきありがとうございます。
執筆人です。
大卒後フリーターとなり約2年、とある会社の契約社員から正社員を計約3年
→ 転職し、中小企業の営業マンとして約10年ほど勤務。
→ その後、再度転職、倉庫作業員として約4年勤めるも、2026年に適応障害を発症し休職。
「適応障害になった人の体験談ブログ」を開設し、日々ブログを執筆することに。
プライベートは一児の父として、休日は子供と遊ぶ、妻と子供と買い物に出かけるなど、至って普通のサラリーマンをしている(はず)。
なぜブログを始めようかと思ったかというと、
「同じようにつらい思いをしている人へ、少しでも役に立つ情報を伝えたい」
と思ったから。
ここに至るまでの私の状況をまとめてみました。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
就活を始める直前にリーマンショック
大学生活も折り返しとなり、卒論の準備と就活の準備を始めようかという2008年の秋、世間を揺るがした「リーマンショック」が起きました。
※アメリカの投資銀行が経営破綻、世界的な金融危機に陥る
世間では、派遣社員の方が契約を打ち切られる「派遣切り」、新卒学生の内定無効とされる「内定取消」などが発生し、日本でも大問題となった出来事です。
この問題はすぐに解消されることはなく、執筆人が就活を行うときも、多くの企業が「新卒採用は0」「昨年より採用人数減」の方針を取ったため、就職難となりました。
当時のニュースで覚えていることは「100社以上応募したが、内定を取れなかった」という就活生へのインタビュー。
(執筆人は100社まで応募しませんでしたが、書類選考を通過して面接に行けた企業は数数えるほどでした。。。)
アルバイトでお金稼ぐ→就活で使う→合間に卒業論文を書く、大学生後半はそんな状況で、とても楽しめるものではありませんでした。
(こんなはずじゃなかったのに。。。)
結局、卒論は無事書き終えて提出したものの、新卒での就職にはたどり着けず、フリーターとして社会に出ることになってしまいました。
学生時代のアルバイトで食いつなぎ、フルタイムのアルバイトへ転職
実家暮らしだったので、とりあえず衣食住は確保していました。
が、父親から「いつまで遊んでるんだ」と叱られる日々。
いや遊んでないわ、そもそもどうやって就職先を探したらいいのかわからんのだわ、と心の中で反論。
あくまで心の中でですよ、下手なこと言うと火に油を注いでしまうので。
そんな中、「第二新卒」の就職支援というものがあることを知る。
第二新卒とは、大学卒業後、概ね3年以内の方で、社会人経験が多少なりともある人を指すらしい。
社会人経験はないに等しいが、とりあえず申し込んだれ!と思い、勢いで応募。
後日、担当の方と面談し、やりたい職種(営業・事務など)や大学時代に勉強したことなどをお話しして、紹介していただけることになりました。
後々知ったのですが、大手企業は募集せずとも人が集まる(知名度が高いので、みんな応募する)のだが、中小企業は募集しても人が集まらず、こういった紹介制度を利用したりして採用活動をしているのだとか。
確かに、執筆人も知名度の高い企業ばかりに応募していた気がします。
情報を専攻していた執筆人は、WEB制作会社を紹介していただきました。
まずは研修生として半年間勤務し、フルタイムのアルバイトとして約1年強を過ごすことになります。
この勤め先がまあブラック企業といわれるものでして。
残業代出なかったんですよ。月200時間くらいサービス残業です。
詳細は省きますが、体と心がボロボロになったので、辞めました。
フルタイムのアルバイトから契約社員へ転職
次に就職したのはコールセンター。電話受けのオペレーターです。
学生時代のアルバイトしていた接客経験が活かせるかなと思い、応募。
契約社員での採用でしたが、前職と違って福利厚生はしっかりしていました。
ちゃんと残業代も支給されました。(いや、当たり前なんですけどね)
その後、正社員として登用され、約3年ほど勤務。
なぜ退職したのかというと、シフト制で夜勤もあり、60まで続けられないと思ったから。
あと、友人と都合が合わないので、全然遊びにいけないから。
営業職の正社員へ転職、またも難題が。。。
平日の日勤で仕事探そうと思い、営業職で応募。ここで約10年を過ごすことになります。
せっかく手に入れた平日日勤の営業職、なぜ辞めたのか。
就職して約8年(退職する約2年前の時点)で、昭和の日本男児が上司になったから。(怒られるやつだけど、例えるとそんな感じ)
「営業なんだから残業代なんて出るわけないだろ、何言ってるんだ」
「朝7時に出てこい、20時まで残れ」
「土日やることないんだろ、だったら会社出てこい、仕事しろ」
昭和かよ、こんな上司の下で仕事なんかやってらんねーわ。
2年我慢してやってみたけど、耐えられなかったです。
そして、現在勤務の倉庫作業員へ
と、何回と転職してきた執筆人ですが、やっと環境、上司、同僚にも恵まれ、いいところに就職できたと安堵しました。
ところが、ここでも問題が発生してしまいます。
何が起きたかというと、環境の変化です。
年齢的にも30半ばから後半、社歴的にも3~4年が経過し中堅の域に入り、社内で求められる役割が変わりました。
アルバイトさん、派遣社員さん、シルバー人材さん、その方々への指示出しや時間管理、取り扱っている商品の在庫管理(発注点管理)を求められるようになったのです。
社内で役割が変わり、管理される側から管理する側へ、そして起こった異変
「みんなできているんだから、自分もできるようにならないと」
「あれ終わらせたら、これ取り掛かって、合間にそれも。。。」
「これができるようにならないと、次に進めない(ステップアップできない)」
自分がやらないと、自分がなんとかしないと、と知らず知らず自分を追い詰めてしまっていたのです。
最初に起こった異変は、何もないところで転ぶ、階段を踏み外す、しゃがんだり立ち上がろうとしたときに転ぶ、といったバランス感覚の喪失です。
また、物との距離感がわからなくなったようで、階段の手すりをつかみ損ねる、机や椅子に体(手足)をぶつけることも多くなりました。
「疲れてるのかな」とだけ思い、その時は全く気にも留めませんでした。
次に起こったことは、会話していて、相手が何を言っているのかわからなくなったことです。
同じことを何度も聞き返してしまい「何度言ったらわかるんだ!!」と相手を怒らせてしまうことがありました。
難しいことを言っているのではありません。「○○会社さんの品物、どこに用意しましたか?」「△△という商品が見つからないのですがどこにありますか?」ということさえ、答えられなくなったのです。
それも一度や二度ではありません、一日に何度も起こりました。
相手が言っていることも理解できず、理解できない自分にイライラし、周囲に当たってしまうこともありました。
以前の自分では考えられない状態です。
別の、とある日。
その日は、外で作業していました。ぽつぽつと雨が降っている中、外に保管してある商品の状態を確認しているときです。
雨が上がり、雲の隙間から日差しが差し込んできました。
ある歌のフレーズが頭をよぎります。
「雨があがったよ お日様がでてきたよ 青い空の向こうには 虹がかかったよ」
教育番組で耳にしたことがある方もいらっしゃるでしょう、その歌です。
なぜか涙があふれてきました。
仕事中
雨がやんで日が差してきた
歌のフレーズが頭をよぎった
ただ。
たった、それだけのことで、涙があふれてとまらない。
ここで初めて、自分が普通の状態でないことを認識しました。
そして、ついに限界が。
仕事が終わり、家に着き、車を降りようとしたところ、体が動かなくなりました。
「え。なんで?体が動かない?」と思うと同時に、涙があふれ、とまらなくなりました。
ただただ、泣きました。
何を考えることもなく、ただひたすらに。
涙が止まったタイミングで、やっとの思いで車を降り、呼吸を整え、玄関のドアを開けました。
幸い妻と子供は寝ており、顔を見られることはありませんでした。
もう耐えられない。
AIに今の現状を伝えました。
約1カ月の間に、こんなことが起こりました、どうすればいいですか、と。
「心療内科の受診の目安を満たしています、お近くのクリニックを調べましたので、受診を検討してみてください。1カ月の間よく頑張りましたね」
と答えが返ってきました。
「1カ月の間よく頑張りましたね」それを見て、また涙がでてきました。
土日も対応してくれるクリニックがあったので、そちらで予約しました、
事前に問診表を記入し、当日を迎えます。
当日、妻には「買い物に行ってくる」とだけ告げ、家を出ました。
もちろん、食料品の買い物にも行きます。嘘はついてません。
クリニックに到着し、受付を済ませると、別室で事前のカウンセリング、注意事項の説明を受けました。
「順番になりましたらお呼びしますので、待合室でお待ちください」
とのことで、待合室で待つことに。
その間、「どう伝えたらいいのだろう」「自分が来てもいいところだったのだろうか」不安と緊張で頭がいっぱいです。
涙を必死にこらえていると、自分の番号が呼ばれました。
涙を拭き、呼吸を整えて、診察室に入りました。
先生に「お待たせしました、どうぞおかけください」と声をかけられ、「よろしくお願いします」と言いかけて、すぐに泣いてしまいました。
何を話したかあまり覚えていないのですが、「休んだ方がいいでしょうね。」と先生から告げられました。
最後に「必ず良くなりますから」と声をかけていただき、問診は終了。
その後、心電図と血液検査を行い、その日の診察はすべて終了。
受付で診断書の内容を確認。
「適応障害」ってしっかり書かれてる。
自分がそうなるなんて思ってもみませんでした。
診断書を受け取り、お会計となりました。
その金額、約1万2千円。
「高けぇ!!」
涙吹き飛びましたね。
オチもついたところで、自己紹介を終わりたいと思います。
こんな執筆人ですが、自身の体験や過ごし方などを記録に残し、発信することで、誰かの役に立てる情報になればと思い、このブログを開設しました。
長々とお読みいただき、ありがとうございました。